社会人のメモ帳

忘れたくないことアレコレ

思考力を磨くための社会学 書評

メディアを通して文化を見る

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著者:岩本茂樹

発行:2018年12月10日

目次

  • 社会学はあなたの身近にある
  • 私のモニュメント
  • 断ち切れない恋
  • 思いが現実を創る
  • 受験の悪夢
  • 男らしさの揺らぎ
  • 文化がつくりだす性差
  • 幻影がつくる現実
  • つくられる記憶
  • 映像と文学による啓蒙への批判
  • 海の上のピアニスト』からメディア論へ

書評などなど

皆さんは映画やアニメ、小説といったメディアを楽しんでいるだろうか。そんなことを言っているブログ主は、本ブログ以外にも『工大生のメモ帳』というラノベや漫画の感想をまとめたブログを運営している。

いわゆるエンタメと呼ばれる作品群は、時代背景というものが色濃く反映される。当時の男女観や社会観を知るには、その当時に流行っていた映画や小説を読めば良いということを、社会学という学問として真面目に取り組んだのが本著である。

昔の作品を読んだ時、観た時、ただ「面白かった」という感想が残るのではない。今を生きている自分と、当時を生きていた人々の周りにある社会の違いを感じられるようになっていく。

例えば。

第二章『私のモニュメント』では、1995年という意外と最近になって出来上がった概念、ストーカーについて語られていく。筆者自らの過去の恋愛体験を踏まえ、「これってストーカー?」という命題についてゆっくりと解きほぐしていく。

ちなみに筆者の過去の恋愛体験というのをざっくりとまとめると、『電車で見かけた年下の女の子を好きになったため、いきなり話しかけてデートの約束を取り付けるもドタキャンされる』というもの。

ドタキャンをした女性の気持ちや言い分については分からない。何か用事があったのかもしれないし、誘われた時は断ったら何かされそうで怖かったから頷いたが、いざ行くとなると怖くなったから行かなかったかもしれない。その理由について、筆者は聞いていないからだ。

そんな一連の行動は、果たしてストーカーといえるだろうか。

それについて考えるために、過去の名作達が引用される。ブログ主が読んだことがある作品としては『レ・ミゼラブル』が挙げられていた。こちら1862年というかなり昔に書かれた作品であるが、2012年には映画化されており、今なお多くの人に愛される名作といえる。

言わずもがな名シーンの多い作品の中で取り上げられたのは、リュクサンブール公園でのマユリスの行動だった。マユリス(21歳)が、リュクサンブール公園のベンチに座って毎日本を読んでいるコゼット(15歳)に恋をしてお近づきになるために、ベンチの周りでウロウロしたのだ。

しかも彼女が落としてベンチに置きっぱなしにしたハンカチの匂いを嗅いだり(なおコゼットのものだと思ったのは勘違いで別人のもの)、彼女の家の場所を知るために後をつけたりといったことをしている。今、このシーンを読んだらストーカーとブログ主だって思うが、ストーカーという概念がない当時の人はどう思うだろうか。

 

長々とストーカーについて語ったが、メディアから読み取れる当時の男らしさとその変容についてや、男女の性差についてなど、ただ作品を読んでいるだけでは気にしなかった視点で語られていく。

本著を読んでいくと、作品のみならず社会を生きていく時、何かと向かい合っていく時に、一つの視点が追加されるような感覚になる。そうして『思考力を磨く』に繋がっていくのではないだろうか。

コミュ障のための社会学 書評

コミュ障ですが、なにか?

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著者:岩本茂樹

発行:2022年3月25日

目次

  • 「モテるしぐさ」に振り回されて
  • 僕たちは演技している
  • 「自分らしさ」って何だろう?
  • 身体のコンプレックスにさようなら
  • 成熟を求めて
  • 文学は誰のもの
  • 音楽を愛するとは
  • 閉ざされた風景から開かれた風景へ
  • 見えるものが見えない/見えないものが見える

書評などなど

本ブログのタイトルは『社会人のメモ帳』という。その名の通り、今、ブログを書いているブログ主は社会人として働いていて、それ相応の悩みというものを抱えながら生活している。

本著は他人とのコミュニケーションをする上で発生する悩みを、社会学という立場から読み解いていき、悩みの正体を探っていくという内容になっている。

また、社会学という学問のフィルターを通すと聞くと、本著の内容はお堅いものなのではと思われるかもしれない。しかしながら中で描かれている内容は筆者の実体験などを交えて快活に描かれており、学問というよりもエッセイという方が近しいような章もあったりと読みやすさが重視されているように感じた。

本著のタイトルも『コミュ障のための社会学』という気になるタイトルになっている。コミュ障を極めているブログ主のような人間にとって、悩みについて真正面から向き合う良い機会になったし、コミュ障ではないという人にとっても、社会学という学問の入り口としては丁度良いのではないかと思う。

 

本著の構成として、章の始めにコミュニケーションをする上で抱える悩みが書かれ、その一つの解決策(向き合い方)が簡単に提示されている。その後、社会学を通してどのようにその解決策が導かれたかを、具体例などを用いてまとめられている。

例えば、第一章『「モテるしぐさ」に振り回されて』では下記のような感じだ。

「イケてない ”陰キャラ” の自分……『断られたら嫌だな』と思って ””好き避け” をしてしまう」

「感受性が強いあなた 逆に相手のしぐさの文法を読み取って人間観察を楽しみましょう」

上が悩みで下が提示された向き合い方だ。「どういうことだ?」と気になって先を読み進めていくと、そもそも時代や属する社会によって、動きや仕草が相手に与える印象が変わっていくことが分かっていく。

モテる仕草の一例として、女性が髪をかき上げて結ぶシーンが上げられている。「分かる……」と頷いた人もいるかもしれないが、コロナ全盛でマスク社会となっている昨今では、また違った仕草がモテ仕草になっているのではと推測できる。国が変わればまた違う結果になると思われる。

モテ仕草なんてそんなものと実行に移すも良し、そんなことかと気を楽に持つも良し。受け取り方は人それぞれだろうが、社会学というフィルターを通して見たモテに面白さを見いだすのも楽しいのではないだろうか。

そんな感じでコミュニケーションで抱える悩みを解き明かしていく。

 

個人的にお気に入りは、第六章『文学は誰のもの』だ。文作作品の話になると、相手にどう思われるのかが怖くて思ったことが言えないという悩みに対し、『堂々と語ることで、コミュニケーションの世界が広がる』と解決策が提示される。

いやいや、それができれば苦労はないよ……という方は、是非とも本著を読んで欲しい。作品は発表された時点で、テーマやメッセージ性といったものは読者の手に委ねられているということが社会学的に説明され、作品を読んで抱いた感想に正誤はないということがはっきりと提示されるのだ。

作者の手を離れた時点で、作品のテーマや意図というものは読者の感性に委ねられる。それもまた社会の動きや時代、国家が変われば違う形になっていく。そういう風に理解できれば、作品の感想を堂々と語れるのではないだろうか。

なにせ正解はないのだから。

本ブログも書評を好き勝手に書いているが、そこに込めた意図は読者に委ねようと思う。

哲学がわかる形而上学 書評

形而上学とは何か?

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著者:スティーブン・マンフォード

訳者:秋葉剛史、北村直彰

発行:2021年2月25日

目次

  • 机とはなにか
  • 円とはなにか
  • 全体は部分の総和にすぎないのか
  • 変化とはなにか
  • 原因とはなにか
  • 時間はどのように過ぎ去るのか
  • 人とはなにか
  • 可能性とはなにか
  • 無は存在するのか
  • 形而上学とはなにか
  • 解説

書評などなど

形而上学は哲学の核であると、本著では語られている。その真意を知るために、『形而上学とはなにか』という問いが用意されている訳だが、それについて語られるのは最終章までお預けとなっている。

そこに至るまで――第一章から第九章まで――は形而上学の実践ということで、章のタイトルになっている命題について、実際に考察を深めていくような構成となっている。なぜそのような構成になっているのか、それは『はじめに』で書かれている。

どうやら『形而上学とはなにか』という問いは、形而上学において(入門する際に取り組む命題として)最も困難で、形而上学を学ぼうとしても挫折してしまう要因になりかねないのだという。

そんな筆者の考えは、読み進めていくと良く分かる。第一章『机とはなにか』では、その題名の通り、『机とはなにか』という命題について考察を深めていく。我々は机を見て、触れて、それが机だと思う。さて、我々は一体何をもってそれを机だと認識しているのだろうか。

机と一言で言っても、それが持っている性質――色や固さ、匂いといった五巻で感じられるものから四つの脚を持っていることなど――を知っている。目の前にある机の色が茶色だったとして、その色は部屋に似合わないとして白色に塗ったとする。それは机ではない別のものになったのか? まさか、そんなことはない。茶色の机から白色の机になったというだけで、同一の机である。これを数的に同じであり続けるが、質的に変化したというように表現する。

そういったように質的に変わっても、数的に同じであると認識できるのは何故か?

……厳密に考えていくと分からなくなってくる。色や固さといった性質の裏には、言語化できないような何かがあるのではという思考に至る。しかし、性質の全てを取り去った時、そこに残る「裸」の個別者はこの世界に存在できるのだろうか。

この厄介な性質というものについて、考察を深めるために第二章『円とはなにか』に進んでいく。そのように順序立てて理解しやすい単純な命題を通して、実は今、形而上学をやっているということを理解していく。

そうして理解するのだ。『形而上学とはなにか』という問いが一番難しいということを。

 

本著は解説から読むべきなのではないかと個人的に思う。その理由として翻訳の癖を上げたい。本著の文章では『――』をかなり多用する。元々の文章を読んでいないのでなんとも言えないし、英訳された作品では避けられない問題である。英語が読める人は原文を取り寄せるべきだろう。

また、解説では本著全体を読み通した上での流れを総復習しつつ、日本人でも手を出しやすいような参考文献が紹介されていたりと、本当に形而上学が初めてという人でも理解しやすいように、またこれからに繋がっていくように内容がまとめられている。

読み進めていて分からないところがあれば、ゆっくり目を閉じて考察を深めつつ、最後の解説に目を通して見たりと、時間をかけて読むべきだと感じた。著作者、訳者の形而上学を知ってもらおうという工夫を随所に感じられる著作であった。

人工知能は人間を超えるか 書評

AIに何ができて、何ができないか

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著者:松尾豊

発行:2015年8月8日

目次

書評などなど

人工知能という言葉が一人歩きし、その単語から連想できる知識だけで人工知能を語ってしまう者は少なくない。そもそも知能とは何かという話すらまとまっていないというのに、人工知能を一言で語り尽くそうとすることがおかしいのだ。

という訳で。

本著は第一章『広がる人工知能』では簡単な導入として、本著ではどういうことを書きたいか? 要は『人工知能は人間を超えるか』という命題にどう向き合うかが記載されている。結論から言えば、「できないはずがない」という風に記載されているが、その結論にどうして至ったかについては、きっちりと本著を読んで理解して欲しい。

その理解のために第二章『人工知能とは何か』から、第六章『静寂を破る「ディープラーニング」』までで、人工知能が作られる歴史について語られていく。人工知能開発には二度ほど冬の時代があり、それを乗り越えていくことで発展を遂げてきた。今はディープラーニングの登場で空前の人工知能ブームであり、もしかしたら人間を超えられるかもしれないという期待が、人々の間にはあるのかもしれない。

たしかに人工知能を実現するための技術の進歩は素晴らしいものがある。

それでも冬の時代がやって来たのには、単純には語り尽くせない理由がある。一番最初に出来た人工知能は、ダートマス会議で公開された数学の証明問題を解いてみせるものだった。その後、たくさん出てきた人工知能と呼ばれるものは、トイプロブレムと呼ばれる単純な問題しか解けないものばかりで、そこに一度限界を感じ、社会から見放されて冬となった。

その状況を打開したのはエキスパートシステムと呼ばれる、人の知識をデータ化してルールを設けて管理させることで、社会に役立てるというものだった。人工知能が金になると分かれば、社会は興味を向ける。単純なものだ。

そうして少しずつ技術は進歩していった。この流れを見ているだけでも、かなり楽しいものがある。

 

現在は第3次AIブーム真っ只中であり、ディープラーニングと呼ばれる技術が社会を席巻している。しかし、このディープラーニングでは人間を超えられないという風に言われている。

そもそもディープラーニングとは、人の脳が思考するプロセスであるニューロンがモチーフになっている。その考え方を機械学習に組み込み、特徴量から重み付けする過程を自動化するという分かってみれば単純な技術である。

具体的な技術については、行列とか確立とか統計とか色々あるので置いておくとして、結局のところ、やっていることは『データから特徴量を見いだす』ということだ。人間の知能がしていることは、そんな一言で説明できるようなものではない。

そもそも知能とは何かという問いに答えを見いだせていない現状において、知能を作るということは無理であろう。シンボルグラウンディング問題といった問題だってある。そういった課題も本著にはまとめられているので確認して欲しい。

AIとは何かという問いに対し、歴史から学んでいくという意味で本著は短く良くまとまっている。とりあえず一冊読みたいという方にはオススメである。

Java Silver合格しました!

Java Silverに合格しました!

目次

 

Java Silverとは?

java SilverとはOracle社が提供する、Javaのアプリケーション開発に必要な知識を有しているかを確認する開発初心者向けの資格です。オラクル提供のJavaの試験はBronzeとSilver、Goldと別れており、Silverはその中間の難易度に当たります。

またJava Silverも、Javaのバージョンによって『SE8』と『SE11』と別れており、ブログ主は『Java Silver 11』の試験を受けて合格しました。これで有識者の下で開発に参画できるだけの知識があるということが証明できたということになります。

ちなみにブログ主はJava Bronzeも合格しているのですが、そちらは試験代に対して難易度が低すぎて取る価値はなかったと思っています。これからオラクル提供のJava資格を取ろうとしている方は、Silverから取ることをオススメします。

JavaSilverの詳細①

  • 試験頻度:いつでも
  • 受験料:37,730 円(税込み)
  • 受験会場:オンライン or テストセンター
  • 問題数:80問
  • 試験時間:180分

試験はオンラインとテストセンターでの受講二種類があり、それぞれ専用サイトでいつても予約可能です。受験料が高いので再受験は避けたいところですね。

ブログ主はテストセンターで予約して受験しました。その際には身分を証明する物『2つ』の提出を求められたので忘れないようにしましょう。また、顔写真も撮影されることになります。なんだか凄い資格を取りに来てしまったのでは……? という気になります。高い受験料も相まって。

問題数と試験時間は十分すぎるくらいで、大半の受講者が時間を余らせるのではないでしょうか。かくいうブログ主は90分くらいで解き終わって見直しして、途中退席しました。それでも試験結果はすぐに出るようになっており、最初に撮影された顔写真付きの合否判定のデータが確認できます。

JavaSilverの詳細②

  • Javaテクノロジと開発環境についての理解
  • 簡単なJavaプログラムの作成
  • Javaの基本データ型と文字列の操作
  • 演算子と制御構造
  • 配列の操作
  • クラスの宣言とインスタンスの使用
  • メソッドの作成と使用
  • カプセル化の適用
  • 継承による実装の再利用
  • インタフェースによる抽象化
  • 例外処理
  • モジュール・システム

Java Silverのシラバスは上記の通り。試験問題としては、実際に書かれたコードを見て、コンパイルして実行した時の結果はどうなるかを問う形式が多いです。そのため、for文やwhile文での繰り返し処理により処理が何回実行されるかというロジック的な理解は勿論のこと、そもそもコンパイルに通るのか、実行した時にエラーがでないかなど、考慮すべき挙動の可能性がかなり多くあります。その辺りの取捨選択が早くできるようになるためには、繰り返し過去問を解く必要があると思います。

また個人的に苦労したこととして、試験で読まされるコードは全部「クソコード」だということを上げたいです。こんなコードを実業務で書いたら、コンパイルは通るし実行は問題なくできたとしても後々苦労すると思います。Java Silverに合格したら即戦力という訳ではないんだなぁ……と考えさせられてりもしました。

Java Silver合格後

  • 履歴書に書ける

Java Bronze程度は書いたところで評価されないと思いますが、Silverからは評価されるそうです。Javaではなくとも何かしらでプログラミング経験がある人だったらそれほど苦労はしないと思いますが、未経験 && 文系だったらかなり難しい内容だと思います。

Java Silverの勉強法

黒本と呼ばれる問題集を何周かしました。特に章末の模擬試験は、そのままの形が本試験に出たりするので全部解けるようにしておきましょう。合格ラインが明確に63%と公表されているので、この黒本の模擬試験で7割くらい取れていればまず受かると思います。

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織 書評

失敗から学習せよ

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著者:マシュー・サイド

発行:2018年2月2日

目次

  • 失敗のマネジメント
  • 人はウソを隠すのではなく信じ込む
  • 「単純化の罠」から脱出せよ
  • 難問はまず切り刻め
  • 「犯人探し」のバイアスとの闘い
  • 究極の成果をもたらすマインドセット
  • 失敗と人類の進化

書評などなど

人は失敗をする生き物である。どんなに優秀な人間で、立派な肩書きを持った人物だとしても、失敗の大小はあれど “しない” ということはあり得ない。何故だか失敗しないという前提でルールやシステムは設定され、失敗をただの不注意、もしくは仕方のないことだと割り切ってしまう人が多いのではないだろうか。

そんな失敗に対する向き合い方を考え直そうとするのが本著である。

第一章『失敗のマネジメント』では、医療ミスの実例が取り上げられ、そのミスが「仕方のないこと」として片付けられそうになったことを危険視している。

執刀した医師からしてみれば最善を尽くしたということなのだろう。そしてそれは決して間違いではないのだろう。しかしながら、その失敗を再発しないような環境やシステムがあるのではないかと考察を深めていく。

その考察を深めるために参考になるのが、飛行機の事故が起きた際の原因調査から改善までのプロセスであるとして第二章以降は取り上げられていく。また、実際に起きた事故や事件に対する社会の動きなども取り上げられていくことで、現場にいる人だけではなく、それをニュースとして取り上げる記者や、受け止める一般市民に対しても、身に染みて考えさせられる内容となっている。

そんな失敗に対する考え方は、仕事をする上で――いや、生きていく上で重要な考え方になっていく。

 

改めて人は失敗をする生き物である。

冒頭でも取り上げられた医者や、事故が大勢の人の死に直結する飛行機のパイロットも、どんなに訓練を積んだとしてもミスをすることは避けられない。ただ本著で取り上げられている時点において、医者と運転手の間ではミスに対する受け取り方が大きく異なっている。

まずパイロットの方は、遅かれ早かれいずれ ”ミスはする” という前提があった。そのため運転席には操縦士の会話の内容が録音されるブラックボックスが設置され、通信の内容や航路といったデータは保持される。それらは事故が起きた時に解析され、改善に繋げていく。

同じようなミスが繰り返される可能性を限りなく減らすため……プロセスを簡略化したり、操縦席のスイッチの配置を工夫したり、小さな修正によりミスは格段に減ることが、飛行機の現場で証明されている。

例えば。

1940年。ボーイングB-17戦略爆撃機が説明のつかない着陸事故を起こした。その原因を調査した結果、コックピットには同じ形をしたふたつのレバーが並んでおり、条件が悪くなると混乱する可能性が高いことが分かった。このレバーをスイッチに変えることで、持ち手を工夫したりというように、 ”間違えが起こしにくい” 形に変更した。これにより事故が一夜にしてなくなった。

このように失敗から学ぶことは、実に費用対効果が良い。

冒頭で描かれた医療ミスによる事故も同様である。簡単に事故のあらましを説明すると、副鼻腔炎という ”リスクはほどんとありえない” とされている手術中、麻酔によって顎の筋肉が硬直したことで、酸素マスクの注入をする必要がある場面で実施することができず、そのまま死んでしまったというものだ。

まず前提として、麻酔によって顎の筋肉が硬直するということは起こり得る事象だ。それほど珍しいことでもなく、麻酔薬を追加投下したり、気管試薬を投入したり、対処法はある。しかし、”不運が重なって” それらの対処法は全て失敗に終わった。医者は最善を尽くした……そう思えるような状況である。

ただし、実は患者を助けられる方法はあった。気管切開という『のどを切開する』という荒技であるが、彼女を救うにはこの手段を取るしかなかった。それなのに医者はどうしてこの選択をできなかったのか?

ここに改善の余地はあった。

どうやらこの気管切開という方法を、看護師は提案し、すぐにでも取りかかれるように準備まで整えていた。それなのに医者達は気管切開という選択をしなかった。看護師は権威あるベテラン医師達のその選択に口出しすることはできなかった。もし彼らの集中力をそいでしまったら? 彼らの選択の方が正しかったら? そのような葛藤があったのだろう。

そのような医師と看護師の間にある壁、あまりに当たり前過ぎて誰にも指摘できない改善の余地ではないだろうか。

 

他にも紹介しきれないくらいに失敗の事例が紹介されている。個人的に衝撃だったのが、検察による冤罪事件の事例だろうか。かつて起きた事件の再調査に、遺伝子による鑑定が導入された途端、冤罪が次々と暴かれたという話である。

これにより検察側は反省し、冤罪を減らそうとシステム改善をする……ことはなかった。なんと彼らは冤罪というはっきりとした証拠が出たにも関わらず、冤罪だと認めようとはしなかった。これまでのシステムを変える必要はないと主張し、冤罪なぞ存在しないというスタンスをとり続けた。

これは人として取ってしまう可能性がある自己防衛本能のようなものであり、ただ彼らに正義がないという訳ではないというのが厄介なポイントだ。我々がこのようになってしまわないよう、何か出来ることがないだろうか。

ひとまず本著を読んでおこう。これはそういう本である。

アジャイル開発とスクラム 顧客・技術・経営をつなぐ協調的ソフトウェア開発マネジメント 書評

企業のリーダー層に向けた「アジャイル」と「スクラム」の開発書

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著者:平鍋健児, の中郁次郎, 及部雄

発行:2022年1月20日(第二班)

目次

書評などなど

なんとなくのイメージで作業を進めると、ドツボに嵌って失敗するといった経験をしたことはないだろうか。想像と現実のギャップに苦しんだ挙句、その作業を途中で投げ出して失敗した……何ということが、この社会では珍しくない。

アジャイルという言葉を、IT業界を生きている者ならば聞いたことがあるはずだ。かくいうブログ主も幾度となくアジャイルという言葉を聞き、関わりそうで関わらないという奇跡のような距離感を保ってきた。その奇跡もいい加減限界が来て、風の噂でしか知らなかったアジャイルの現場に放り込まれそうになっている。

……という訳でアジャイル開発に関連する本を探して手に取った一冊が本著である。他にも何冊か購入し読んだのだが、読んでいて一番面白かったため、最初に書評を書くという形で紹介させていただく。

 

本著は三部構成になっている。一部では「アジャイルとは」「スクラムとは」という概念的な話が説明されていく。

どういった経緯でアジャイルという開発プロセスが作られたか、アジャイルで用いられるスクラムという体制について、概念的な部分から具体的な内容までまとめられている。

アジャイルが登場していくらか経つが、現在においても大半の開発現場、特に車業界ではウォーターフォールによる開発プロセスが主流だ。要件定義から基本設計、詳細設計からテストに至るまでの工程が順番に行われ、最終的に動く製品が出来上がるウォーターフォールでは、(理想では)高い品質が担保される。

しかしこのプロセスでは、半年もすればトレンドが塗り替わってしまうような市場を相手取った時に、あまりに開発速度が遅すぎた。開発途中で仕様変更をしたいと顧客が思っても、ウォーターフォールでは対処できないという実情がある。そこで、動く製品をとりあえず作り設計とテストのプロセスを何度も繰り返すことで製品を成長させていくという方法で、開発を進めていくアジャイルというものが考え出された。

これにより顧客の要望にいち早く答えることができるほか、優先度の高い機能から実装していくという考え方のため、無駄なく開発を進めることができるというメリットもある。「なんだメリットばかりではないか」と思われるかもしれないが、それでもアジャイルがIT業界の全体に浸透していないのには、それなりの理由がある。

「なんだメリットばかりではないか」と考えて、とにかく形だけのアジャイルを導入するようなことをして失敗を重ねているからである。

そもそもアジャイル開発の根本には「アジャイル宣言」というものがある。

  • プロセスやツールよりも個人と対話を
  • 包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを
  • 契約交渉よりも顧客との協調を
  • 計画に従うことよりも変化への対応を

かなー-り端折ってはいるが、根本は上記の四つの文章であろう。ただここだけを見てアジャイルとはどういったものかを判断してはいけない。

 

第二部から第三部では、アジャイル開発を実際に取り入れた現場のリーダーにインタビューし、その苦労や結果をインタビューした内容がまとめられている。これが本著において最も読むべき場所になる。

第一部の内容に関しては、アジャイルという言葉をタイトルに関した書籍と被る部分が多い。別にこの本でしか学べないという知識ではない。ただ実際に導入することでぶつかった壁や、それを受けてどういう対応をしたのかは実に学べることが多い。

そもそもアジャイルの考え方として、導入していきなり上手くいくということは想定されていない。失敗して反省し、改善していくことで現場ごとに合わせたアジャイルの形を模索するという開発手法だといえる。そのため決まりきった正解というものはなく、「スクラム」というものも一個の解……いやヒントのようなものとでも表現すべきかもしれない。

ただ事前にそういった『失敗が前提としている』ということを知っていて、それに対する心構えがあるかどうかで、参画する上でのモチベーションが変わってくる。

アジャイル開発に関わるという上での心構えを決めることができた一冊だった。これからアジャイルに関わるという方は、第二部と第三部だけ目を通すだけでも変わってくるのではないだろうか。