われ思う、ゆえにわれあり
情報
著者:デカルト
訳者:谷川多佳子
目次
- 第1部
- 第2部
- 第3部
- 第4部
- 第5部
- 第6部
書評などなど
「われ思う、ゆえにわれあり」というフレーズをご存じだろうか。この世界において、絶対的に真であるとされる存在を端的に言い表したフレーズであり、本著を代表するフレーズと言っても過言ではない。そんな名作の書評を書くのもおこがましいのだが、ブログ主の言葉を使って本著について語っていきたい。
本著の歴史は古く、著者であるデカルトは『理性を正しく導き、学問において真理を探究するための方法の話〔序説〕。加えて、その方法の試みである屈折光学、気象学、幾何学』という3つの科学論文集を執筆した。
この論文を執筆するにあたって導き出した真理へ辿り着くための方法や、思索の内容が事細かにまとめられている。しかも長すぎて一気に読み通せないようなら、読みたいところだけ読めるように第一部から第六部まで分けられている。それぞれどのような内容が書かれているのか、最初にまとめられている。
第一部では学問にかんするさまざまな考察
『方法序説』は科学論文の序文であり、哲学書の中でもかなり有名なものになっている。哲学が難しい、とっつきにくいという印象が強い。その印象を否定はしないし、本著の古めかしい言い回しや文言は、訳注を読むことは必須だ。
しかし、この第一部で書かれている内容は「詩を愛好していたこと」「数学が好きだったこと」など自身の経験を踏まえ、学問というものに向き合った結果がまとめられている。
第二部ではわたしが探求した方法の主たる規則が見いだされる。
第二部も同様に自身の体験をベースにした語り口で、論理学、解析、代数の3つの学問を学んで導き出された、真理を求める4つの規則がまとめられている。
第三部ではわたしがこの方法からひきだした道徳上の規則のいくつか、
第三部では真偽を区別する上での道徳的な格率をまとめている。
第四部では神の存在と人間の魂の存在を証明する論拠、つまり著者の形而上学の基礎
第四部はあまりに有名な「われ思う、ゆえにわれあり」が登場する。第二部、第三部を通して真偽を判定するための規則をまとめたが、その際、思考の出発点として、この世界における絶対的に真であるものが必要となった。
それこそが「われ思う、ゆえにわれあり」という命題であり、思考し自己の存在すら疑うことのできる自己は絶対にこの世界に存在しているから真、という訳だ。
また、この命題を出発点として神の存在や魂の存在についても真偽を判定している。ただこの辺りは当時としても無茶な理論として非難の対象だったらしい。その辺りの理論は「何とかして神の存在はある」ということにするために組み立てられた物語として面白い。
第五部ではわたしが探求した自然学の諸問題の秩序、とくに心臓の運動や医学に属する他のいくつかの難問の解明とわれわれの魂と動物の魂との差異
ここでは心臓の機能や、全身を巡る血管と血の巡りについてなど「そういえば科学論文の序文だった」ということを思い出させるような内容が記述されている。
最終部〔第六部〕では、わたしが自然の探求においてさらに先に進むために何が必要だと考えるか、またどんな理由でわたしが本書を執筆するにいたったか、見ることができる。
3年を費やした論文を権威の方々に査読していただいた際に、一意見が否定されたことをきっかけに、論文を発表すべきかを悩み、自分の信じている理性を疑っている様が書かれている。ここから論文を発表するまでに至る思いが、理論立ててまとめられており、とても読み応えがある内容となっている。
論文を書くに当たって手に入れた思考のプロセスや、自身の全てを疑った状態から論文を発表するに至ったプロセスは、哲学という難しい言葉に包むよりも、生きていく上で必要な一本の大きな柱として学ぶべきものなのではと思う。
『方法序説』という文書は、その柱を学ぶには難しいという方も、要約したものなんかはいくらでも出版されている。ただそれらには訳者の意図などがどうしても介入し、デカルトの思いをそのまま汲み取ることはできない。理想は原文ままなのだろうが、『方法序説』というものを自分で思考しつつ学ぶためには、やはり解説書よりも原文に近いものを使うべきだと考える。