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超AI入門 書評

超AI入門

情報

著者:松尾豊

発行:2019年2月28日

目次

  • AIと人間の間で会話は成立するのか
  • 脳とAI、違いはどこにあるのか
  • AIは芸術作品を生み出せるのか
  • AIロボットの実現はなぜ難しいのか
  • AIの画像認識技術で暮らしはどう変わるのか
  • AIと人間は融合するのか

書評などなど

本著は「人間ってナンだ? 超AI入門 シーズン1」(2017年10月から12月放送)という番組で放映された、全12回の講義内容を良い感じにまとめたものとなっている。その名残というべきか、「番組中では……」といったような描写が見られる。

語り口もかなり平易な言葉でまとめられており、細かな章立てがなされていることで読みやすい。扱われている内容も、AIに関する技術を深堀していくというよりは、AIを作る・研究する上での考え方であったり、哲学的な考察の小話であったりが中心で、可能な限り難しい話はしないように配慮されている感じがした。

また、最終章に当たる講義6(作中の章立ては講義という形でまとめられている)の最後には、AI研究の第一線で活躍されている研究者であるジェンフリ・ヒントン氏、ヤン・ルカン氏のインタビュー記事が掲載されている。それぞれがAIに興味を持ったきっかけ、今の研究成果に至るまでの発想の出発点などがインタビューを通して紐解かれていく。

全体的に『これからAIを学ぶ上での導入』といった趣が強い。

 

本著はまず『知能とは何か?』という哲学的考察を出発点としている。講義1「AIと人間の間で会話は成立するのか」という問題に対し、これまでの哲学者や研究者が出した考察内容が提示されていく。

例えば。

そのAIに知能があるかどうかの判定手法として、アラン・チューリングが提唱した「チューリングテスト」というものがあります。これは部屋の中にいるコンピュータもしくは人間とチャットを行い、それが人間かコンピュータかを当てようとした際、当てることができなかった場合、それは人間とコンピュータの区別ができなかった……つまり「コンピュータは知能を持っていると判定できる」と分かる。

今こうして記事を書いているブログ主は人間か、はたまたAIか。もしくは、あなたが普段チャットしている相手は本当に人間か。フタを開けてみればAIだったという場合、そのAIは知能があるということになる。アラン・チューリングはそう考えた訳です。

実に理にかなっている考え方かですが反論がありました。

哲学者ジョン・サールが考案した「中国語の部屋」という思考実験がそれです。中国語ができない人を部屋にいれ、中国語の会話の分厚いマニュアルだけを渡します。その人物と部屋の外の人をチャットをさせると、会話は成立します。しかし会話している内容の意味まで、中の人は理解できていません。

つまりチューリングテストに合格することと、意味を理解する(=知能がある)ことは別なのではないかと言ったわけです。たとえ「疲れた」と言っていても、その言った人物が「疲れた」という状態を理解できていなければ、それは「疲れた」というランダムな言葉を並べたに過ぎないというように。

……ふむ。なるほど。

そうして突き詰めていくと、「知能とは何か?」「我々はどうやって意味を理解しているか?」「意味を理解するために必要なものとは?」といった数々の疑問が提唱され、それらを考察していく過程で、AIを学ぶ上で必要な概念である身体性や、ディープラーニングといった言葉の理解に繋がっていく。

講義2、3、4はそれぞれ最終的には「知能とは何か」という命題に辿り着こうとしており、それぞれで別個のアプローチに挑んでいる。脳の構成を研究して深層学習を作り出したり、人が作り出す芸術をAIに作らせようとして教師あり学習やデータサイエンスの領域に波及したり、ロボットを作ろうとしたり……人が人の知能に挑む過程で生み出された技術の数々を見ることができる。

 

本著はAIを学ぶ上での歴史を遡っていく時に便利だと語りたい。技術的な内容は触りしか書かれていないが、技術の深みを学ぶ上でその表面上の哲学を知っているか知っていないかでは大きな差が出るのではないだろうか。

哲学は難しいという印象を抱くかもしれない。実際、より深みを掘っていこうとすると泥沼にはまるかもしれないが。少なくとも本著で描かれる内容は、どれもスッと頭に入ってくるような語り口に構成がとられている。

とりあえずAIを学ぶならばという導入に良いのではないだろうか。