失敗から学習せよ
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著者:マシュー・サイド
発行:2018年2月2日
目次
書評などなど
人は失敗をする生き物である。どんなに優秀な人間で、立派な肩書きを持った人物だとしても、失敗の大小はあれど “しない” ということはあり得ない。何故だか失敗しないという前提でルールやシステムは設定され、失敗をただの不注意、もしくは仕方のないことだと割り切ってしまう人が多いのではないだろうか。
そんな失敗に対する向き合い方を考え直そうとするのが本著である。
第一章『失敗のマネジメント』では、医療ミスの実例が取り上げられ、そのミスが「仕方のないこと」として片付けられそうになったことを危険視している。
執刀した医師からしてみれば最善を尽くしたということなのだろう。そしてそれは決して間違いではないのだろう。しかしながら、その失敗を再発しないような環境やシステムがあるのではないかと考察を深めていく。
その考察を深めるために参考になるのが、飛行機の事故が起きた際の原因調査から改善までのプロセスであるとして第二章以降は取り上げられていく。また、実際に起きた事故や事件に対する社会の動きなども取り上げられていくことで、現場にいる人だけではなく、それをニュースとして取り上げる記者や、受け止める一般市民に対しても、身に染みて考えさせられる内容となっている。
そんな失敗に対する考え方は、仕事をする上で――いや、生きていく上で重要な考え方になっていく。
改めて人は失敗をする生き物である。
冒頭でも取り上げられた医者や、事故が大勢の人の死に直結する飛行機のパイロットも、どんなに訓練を積んだとしてもミスをすることは避けられない。ただ本著で取り上げられている時点において、医者と運転手の間ではミスに対する受け取り方が大きく異なっている。
まずパイロットの方は、遅かれ早かれいずれ ”ミスはする” という前提があった。そのため運転席には操縦士の会話の内容が録音されるブラックボックスが設置され、通信の内容や航路といったデータは保持される。それらは事故が起きた時に解析され、改善に繋げていく。
同じようなミスが繰り返される可能性を限りなく減らすため……プロセスを簡略化したり、操縦席のスイッチの配置を工夫したり、小さな修正によりミスは格段に減ることが、飛行機の現場で証明されている。
例えば。
1940年。ボーイングB-17戦略爆撃機が説明のつかない着陸事故を起こした。その原因を調査した結果、コックピットには同じ形をしたふたつのレバーが並んでおり、条件が悪くなると混乱する可能性が高いことが分かった。このレバーをスイッチに変えることで、持ち手を工夫したりというように、 ”間違えが起こしにくい” 形に変更した。これにより事故が一夜にしてなくなった。
このように失敗から学ぶことは、実に費用対効果が良い。
冒頭で描かれた医療ミスによる事故も同様である。簡単に事故のあらましを説明すると、副鼻腔炎という ”リスクはほどんとありえない” とされている手術中、麻酔によって顎の筋肉が硬直したことで、酸素マスクの注入をする必要がある場面で実施することができず、そのまま死んでしまったというものだ。
まず前提として、麻酔によって顎の筋肉が硬直するということは起こり得る事象だ。それほど珍しいことでもなく、麻酔薬を追加投下したり、気管試薬を投入したり、対処法はある。しかし、”不運が重なって” それらの対処法は全て失敗に終わった。医者は最善を尽くした……そう思えるような状況である。
ただし、実は患者を助けられる方法はあった。気管切開という『のどを切開する』という荒技であるが、彼女を救うにはこの手段を取るしかなかった。それなのに医者はどうしてこの選択をできなかったのか?
ここに改善の余地はあった。
どうやらこの気管切開という方法を、看護師は提案し、すぐにでも取りかかれるように準備まで整えていた。それなのに医者達は気管切開という選択をしなかった。看護師は権威あるベテラン医師達のその選択に口出しすることはできなかった。もし彼らの集中力をそいでしまったら? 彼らの選択の方が正しかったら? そのような葛藤があったのだろう。
そのような医師と看護師の間にある壁、あまりに当たり前過ぎて誰にも指摘できない改善の余地ではないだろうか。
他にも紹介しきれないくらいに失敗の事例が紹介されている。個人的に衝撃だったのが、検察による冤罪事件の事例だろうか。かつて起きた事件の再調査に、遺伝子による鑑定が導入された途端、冤罪が次々と暴かれたという話である。
これにより検察側は反省し、冤罪を減らそうとシステム改善をする……ことはなかった。なんと彼らは冤罪というはっきりとした証拠が出たにも関わらず、冤罪だと認めようとはしなかった。これまでのシステムを変える必要はないと主張し、冤罪なぞ存在しないというスタンスをとり続けた。
これは人として取ってしまう可能性がある自己防衛本能のようなものであり、ただ彼らに正義がないという訳ではないというのが厄介なポイントだ。我々がこのようになってしまわないよう、何か出来ることがないだろうか。
ひとまず本著を読んでおこう。これはそういう本である。