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哲学がわかる形而上学 書評

形而上学とは何か?

情報

著者:スティーブン・マンフォード

訳者:秋葉剛史、北村直彰

発行:2021年2月25日

目次

  • 机とはなにか
  • 円とはなにか
  • 全体は部分の総和にすぎないのか
  • 変化とはなにか
  • 原因とはなにか
  • 時間はどのように過ぎ去るのか
  • 人とはなにか
  • 可能性とはなにか
  • 無は存在するのか
  • 形而上学とはなにか
  • 解説

書評などなど

形而上学は哲学の核であると、本著では語られている。その真意を知るために、『形而上学とはなにか』という問いが用意されている訳だが、それについて語られるのは最終章までお預けとなっている。

そこに至るまで――第一章から第九章まで――は形而上学の実践ということで、章のタイトルになっている命題について、実際に考察を深めていくような構成となっている。なぜそのような構成になっているのか、それは『はじめに』で書かれている。

どうやら『形而上学とはなにか』という問いは、形而上学において(入門する際に取り組む命題として)最も困難で、形而上学を学ぼうとしても挫折してしまう要因になりかねないのだという。

そんな筆者の考えは、読み進めていくと良く分かる。第一章『机とはなにか』では、その題名の通り、『机とはなにか』という命題について考察を深めていく。我々は机を見て、触れて、それが机だと思う。さて、我々は一体何をもってそれを机だと認識しているのだろうか。

机と一言で言っても、それが持っている性質――色や固さ、匂いといった五巻で感じられるものから四つの脚を持っていることなど――を知っている。目の前にある机の色が茶色だったとして、その色は部屋に似合わないとして白色に塗ったとする。それは机ではない別のものになったのか? まさか、そんなことはない。茶色の机から白色の机になったというだけで、同一の机である。これを数的に同じであり続けるが、質的に変化したというように表現する。

そういったように質的に変わっても、数的に同じであると認識できるのは何故か?

……厳密に考えていくと分からなくなってくる。色や固さといった性質の裏には、言語化できないような何かがあるのではという思考に至る。しかし、性質の全てを取り去った時、そこに残る「裸」の個別者はこの世界に存在できるのだろうか。

この厄介な性質というものについて、考察を深めるために第二章『円とはなにか』に進んでいく。そのように順序立てて理解しやすい単純な命題を通して、実は今、形而上学をやっているということを理解していく。

そうして理解するのだ。『形而上学とはなにか』という問いが一番難しいということを。

 

本著は解説から読むべきなのではないかと個人的に思う。その理由として翻訳の癖を上げたい。本著の文章では『――』をかなり多用する。元々の文章を読んでいないのでなんとも言えないし、英訳された作品では避けられない問題である。英語が読める人は原文を取り寄せるべきだろう。

また、解説では本著全体を読み通した上での流れを総復習しつつ、日本人でも手を出しやすいような参考文献が紹介されていたりと、本当に形而上学が初めてという人でも理解しやすいように、またこれからに繋がっていくように内容がまとめられている。

読み進めていて分からないところがあれば、ゆっくり目を閉じて考察を深めつつ、最後の解説に目を通して見たりと、時間をかけて読むべきだと感じた。著作者、訳者の形而上学を知ってもらおうという工夫を随所に感じられる著作であった。